安保上必然の日韓併合
朝鮮半島最後の王朝・李氏朝鮮(1392~1910年)は中国の明/清朝から冊封(名目的君臣関係)を受け続けた。一方、朝鮮半島は日本にとり国防上の最重要拠点。清の影響を受けない、近代化した完全な独立国家の誕生は朝鮮にも、日本にとっても理想的安全保障環境であるはずだった。従って、日清戦争(1894~95年)に勝った日本は、清への講和条約の筆頭に、国際慣行にならい敗戦国が支払う賠償金や割譲する領土を記すのではなく、朝鮮独立を掲げた。
ところが樹立された大韓帝國の国民は、国土荒廃による慢性的食糧不足や貴族・役人による既得権益の不正独占/汚職で、極貧に喘いだ。インフラは整備されず、衛生・教育状況は劣悪で、国家運営の気概も無し。そればかりか皇帝・高宗(1852~1919年)は欧米列強に、鉱山採掘や鉄道敷設、軍の教育訓練などの権利を売り渡す。日清戦争で多大な犠牲を払った日本の悲憤は大きかった。そもそも、清軍が漢城(現ソウル)に侵入し、清領になる寸前だったことで開戦となった。このときも、後にロシアが侵入してきたときも、朝鮮人は戦わなかった。