最後は早稲田がスクラムを押し、ナンバー8の佐藤穣司(2年)が左中間に飛び込んでだめ押しのトライをあげた。
早大の後藤禎和(さだかず)監督は「これぞ早明戦という試合」と話した。明治の丹羽(にわ)政彦監督は「観客でいっぱいの国立で校歌を聴いたら、目がうるうるした」と話した。
明治に北島忠治、早稲田に大西鉄之佑と両巨頭が健在だったころを思いだす。相撲部出身の北島を大西が「相撲取りに広いグラウンドが使いきれるかい」と皮肉れば、北島は「丸い土俵は無限大だ。四角くても机の上よりずっと広い」と、理論派の大西に応じた。
大西の大病を経た1990年、国立のスタンドで突然、北島が大西に歩み寄り、握手を求めた。ここに確執は終わる。1日の早明戦では試合後、松任谷由実(まつとうや・ゆみ)が「ノーサイド」を歌い、両校の4年生が涙した。すでにない2人の巨匠も、いい光景だと思ってくれたか。