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ウクライナ 治安部隊とデモ隊衝突 不満爆発 葬られたレーニン像 (2/3ページ)

2013.12.13 10:45

反政権集会が開かれている首都キエフ中心部の独立広場でにらみ合う治安部隊とデモ隊=2013年12月11日午前5時ごろ、ウクライナ(佐々木正明撮影)

反政権集会が開かれている首都キエフ中心部の独立広場でにらみ合う治安部隊とデモ隊=2013年12月11日午前5時ごろ、ウクライナ(佐々木正明撮影)【拡大】

  • 12月8日夜、首都キエフ中心部でなぎ倒されたウラジーミル・レーニン像をハンマーで叩く男性。「われわれはEU(欧州連合)と共にある」と周囲から歓声があがった=2013年、ウクライナ(佐々木正明撮影)
  • 首都キエフの独立広場近くに設けられた自由演説の場。人々が自らの意見を表明し、道行く人が聞き入る=2013年12月7日、ウクライナ(佐々木正明撮影)
  • デモ隊が陣取る首都キエフの独立広場を包囲した治安部隊=2013年12月11日朝、ウクライナ(佐々木正明撮影)
  • ウクライナの首都キエフの独立広場。中央のクリスマスツリーにはウクライナ国旗やEU(欧州連合)旗が掲げられ、「欧州広場」と呼ばれるようになった=2013年12月6日(佐々木正明撮影)
  • 首都キエフ中心部でなぎ倒されたウラジーミル・レーニン像の破片を手にする男性=2013年12月8日夜、ウクライナ(佐々木正明撮影)
  • ウクライナ・首都キエフ

 レーニン像はウクライナがソ連の構成共和国だった頃の1946年に設置された。長らく共産主義のシンボルとして、キエフの街に君臨し、91年の独立直後も、歴史的記念碑として価値があると判断され、取り壊しは免れていた。

 しかし、この記念碑に対して、憎しみを感じる人も少なくなかった。ウクライナは第二次大戦のとき、スターリンの弾圧と当時の飢餓により、5人に1人がなくなったとされ、その後もソ連の抑圧政策により、多くの市民が苦しんだ過去を持つ。

 ≪「革命だ」「栄光あれ」 沸き上がる歓声≫

 9年前の「オレンジ革命」の際にも、像は生き残った。しかし今回、反政権運動の高まりを受けて、ついに市民の力で葬られたのだ。

 なぎ倒される様子は、地元テレビ局で生中継された。ソ連の後継国家、ロシアとの関係を重視するヤヌコビッチ大統領への強いメッセージとなったのは間違いない。

 最初、私は地面に落ちた像に近づけなかった。しかし、台座のハシゴのところで理由を説明すると、若い男性が「おい、日本からのジャーナリストだ。あけろ、あけろ。ハシゴに上がらせてやってくれ」と叫び、ハシゴに上ることができた。

ウクライナのデモ EUとの統合路線の棚上げが直接の原因

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