【笑顔のアスリート学】
2020年東京五輪・パラリンピックが決まったいま、改めて私自身が五輪を目指した日々を思い出すことが多い。
振り返って記憶によみがえるのは、厳しくも温かく見守ってくれた家族や先輩たちの言葉かもしれない。
「オリンピックへ行きたいな」。そう心に抱いたのは、1992年バルセロナ五輪の女子200メートル平泳ぎで、当時14歳だった岩崎恭子さんが史上最年少金メダルを獲得したのをテレビで見た瞬間だった。
そのときの私は小学6年生。すでに水泳と出会い、トップを目指していた時期でもあった。五輪というものに憧れを抱き、小学校の卒業文集にも、「水泳でオリンピック選手になりたい」と書いた。
その夢に向かって、順調に過ごした中学時代。自己ベストのタイムがぐんぐんと伸び、中学3年時には、200メートル背泳ぎで、日本歴代2位となる記録を樹立した。周囲からも、将来の「五輪候補選手」として持ち上げられるようになった。