今回、齋藤によるこれだけの数の写真を初めて見て真っ先に感じたのは、「できるだけ多くの人と話したい」「もっともっと多くのイメージを世に送り出したい」という、焦りにも似た気持ちの高ぶりだ。彼の写真は、どれをとっても、薄くまばゆい光のベールが掛かったような透明感に覆われている。なおかつ、どの写真も、ほとんど貪欲と言ってよい世界との接触欲で溢れ却(かえ)っている。耳の聞こえない齋藤と健常者の世界とのあいだには、薄いベールで隔てられた幕があるのを、誰よりも齋藤自身が知っているからだろう。
写真家になる前にプロレスに向かったのは、肌と肌が直接、ぶつかりあう世界に、齋藤がなんらかの直接性を見たからではないだろうか。けれども、写真ではそういうわけにはいかない。撮影者と被写体とのあいだには必ずカメラが挟まるからだ。どんなに相手に肉薄しても、プロレスのような直接性には辿り着かない。
音楽を主題に連作
齋藤がカメラを構えてありのままの世界の姿に迫るのは、耳の聞こえない彼が、間接的に健常者の世界と交わろうとするのと、とてもよく似ている。もっとも端的に表されているのは、音のない世界に生きる齋藤が、あえて音楽を主題に撮った連作だろう。