神輿(みこし)を迎えに、若者が石段を駆け上り、「チョッペンの儀」のあと、神輿の渡御(とぎょ)を経て御旅所(おたびしょ)に安置される頃には、午前0時を過ぎていた。燃えさかる巨大な松明からは火の粉が飛び、その炎の熱さにカメラが壊れるかと思ったくらいだ。そんな迫力ある風景の中で、僕の興味は、輝く炎から、それらが映し出す人々の姿や表情へと移っていった。ある人が目に入ると、その人がどのような人とつながっているのか、どんな家族と暮らし、仲間と何を語っているのか、その瞬間を写真に撮りたい衝動に駆られた。一人の輪郭に、家族や仲間たちの輪郭が重なる。そんな不思議な気分に見舞われた。
「鞍馬の火祭」の目的は神事であり、そのための伝承を行っている、というのが単純な話だ。伝統的な祭が継続できなくなるのは、過疎化や高齢化による担い手不足ばかりが理由ではなく、人々の趣向性の変化によるところも大きいと聞く。どんな人でも、人との関わりが煩わしいと思うことがあるだろう。