手斧始式はこの故事にちなみ、いまも市内の建築業者たちがJR鎌倉駅に近い二ノ鳥居から若宮大路の段葛(だんかずら)を通って境内まで、ご神木を運ぶ。
舞殿の前に供えられたご神木には神職による祭儀の後、烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿の大工さんが「さし」を使って寸法を定め、のこぎりをひき、墨打ちをして、かんなをかけるといった作業を古式ゆかしく往時の所作で披露した。
手斧は小型の鍬(くわ)のようなかたちをした大工道具で、木材を荒削りするのに使われる。このほか、長い柄の付いたやりかんななど、最近ではもう見られない道具も使われ、初詣の列に並ぶ人たちも思わず足を止めてのぞき込んでいた。
「材木座」の地名がいまに残ることでも分かるように、鎌倉時代の政権都市は大規模な土木、建設工事のラッシュだったのではないか。港には材木が次々に運び込まれ、新しい世の中を切り開こうという強い意欲と勢いに沸き立った時代と土地があったはずだ。
足りないものだらけであっても、希望はある。そんな想像に、現在の日本をつい重ねてみたくなる。