街を歩けば「せっけんくれ」、小学校を見学すれば「ノート下さい」。欲しがる人がいると知っていたら用意していたのに。子供たちはとりあえず外国人を見ると「なんかちょうだい」。
観光地トリニダで2週間ほど滞在した宿のオーナーには、私が履いていたニューバランスのシューズで宿代を支払うことを提案された。靴は一足しかなかったので、日本から新しい靴を送る約束をすると、真顔で「ダメだよ。良い商品は何でも郵便局員が盗むから」と忠告され、「物資不足」の4文字が頭に浮かんだ。
確かに、多くのキューバ人の生活は裕福とはいえない。でも不思議とここでは、貧しさからくる卑しさや惨めさを感じない。堂々と「私はお金がありません。あなたはあります。だからお金を下さい」。こんな単純で理路整然とした態度で、お金を乞う。そして、いくらか渡すと本当にうれしそうな表情を浮かべて「ありがとう」と感謝する。そこには「施し」や「人助け」「寄付」などというたいそうな概念はない。あえて言うなら「シェア」だろうか。
シェアといえば、連載第1回に登場した闇タクシー運転手も、運賃のほぼ半分を客引きに渡していた。もっと彼が稼げるように、客引きも兼ねるようアドバイスすると、ハンドルから離した左手の人差し指と中指を絡まし、ニヤッと笑って一言。「お互いさまでしょ」