キューバ人は貧しくても、気品があり、プライドを持っている。それは、往々にして教育、そして最低限保証された生活のおかげかもしれない。「私は貧しいから何か恵んでおくれよ」という、他の国々で散々浴びた、哀れな視線はぶつけてこない。
≪「歩くドル札」ではなく同等の「人」≫
ある日、バラックが並ぶ通りで1人の女性が、私に1ユーロコインを見せ「これはキューバでは使えないから両替して」とせがんできた。するとその様子を見ていた、トイレットペーパーの芯をカーラー代わりに巻いてヘアセット中の女性が「日本の通貨は円だから、彼女がユーロをもらっても困るよ」と1ユーロ女性をたしなめた。「どうせお金があるから、くすねてもいいだろう」という雰囲気にはならず、ホッとしたのを覚えている。
19歳で初めてインドに行ったとき、私は貧しい地元の人にとっては「歩くドル札」なんだと強く感じた。私がインドを訪れた理由も、地元の人と交流したい思いもお構いなく、彼らにとって唯一重要なのは、私がお金を持っている事実。盗むためなら偽りの友情も結び、嘘も平気でつく。私は「ドル札」なので、同情もプライドも保つ必要もない。当時はまだ若かったため、彼らの印象は貧しい人々の像として深く記憶に残った。