フラワーセレモニーでは壇上で飛びはねて派手なガッツポーズ。「応援してくれる人たちに、自分の今までやってきたこと、うれしさを表現したかった」。7度目の五輪でようやく手にした個人のメダル。晴れやかに胸を張った。
その競技人生は平坦(へいたん)ではなかった。17年前、母、幸子さんを火事の後遺症で亡くした。難病を患う5歳下の妹、久美子さん(36)は今も闘病中だ。所属先は2度にわたって廃部。長野五輪では直前に左足首を痛め、金メダルを獲得した団体のメンバーから漏れた。歯を食いしばって飛び続けてきた。
だが、五輪の表彰台は遠かった。94年リレハンメルで団体銀に輝いたものの、個人ではこの時の5位が最高。「すごく意気込んだり、『成績を出さないといけない』とプレッシャーを感じながらやっていた」と、いつも気負って空回りした。
イメトレで涙
日本選手団主将として迎えたソチ五輪。
試合の合間を縫って、モーグル女子など他競技の応援に出かけた。「メダルを取れた人、取れない人の気持ちを察しながら、自分はどうなるかと葛藤していた」。勝負の空気に身をさらし、「逃げるわけにいかない。必ず自力でもぎ取る」と心を固めた。試合の朝、イメージトレーニングで金メダルを取る自分を思い浮かべると、涙があふれた。