吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)は修験道の中心地の一つ。開祖とされる役小角(えんのおづぬ)は、僕にとって長年憧れの存在だった。役小角が金峯山(きんぷせん)で修行を積んでいると、そこに金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)が現れ、役小角は桜の木で蔵王権現(ざおうごんげん)像を彫ったとされている。だから桜は吉野山の神木となり、平安時代から多くの桜が植えられるようになった。春には桜の名所となり、豊臣秀吉も、この美しい吉野山の桜に魅せられた。
一方で、吉野山は、時の権力に従わぬ者たちを受け入れてきた。壬申の乱をおこした大海人皇子(おおあまのおうじ)が隠棲(いんせい)したのも、義経と弁慶が身を隠したのも、京都を逃れた後醍醐天皇が南朝を打ち立てたのも、ここ吉野だった。また、吉野山は、大峰山(おおみねさん)を経て熊野三山へ続く山岳霊場であり、修行道の大峯奥駈(おくがけ)道の北の入口にもあたる。これだけのことが折り重なる場所は、そう多くないだろう。