勇んで出かけた私は、意外にもまったく人気のない会場で、もう一度あの作品に出合った。市の中心部から遠く離れ、公園の入り口からもさらに長く歩いたどんつきにある廃虚のような美術館に、わざわざ工藤の作品を観に出かける物好きがいないのは理解できる。しかし私にとっては、母校で現代美術の講義を受けた美術評論家、故・中村敬二が、大学を辞して美術館に移籍してまで手掛けた展覧会でもあった。私はその展覧会の規模の大きさに釣り合わぬ閑散さと、相変わらずの作品の醜さと中村の工藤への謎めいた情熱に、以前とはまた違う複雑な感銘を受けた。
今回、前とは比べ物にならぬほど洗練された場所と空間のなかで一堂に会した工藤の仕事を回顧しても、過去に受けたこれらの印象が覆ることはない。そして、なにかのきっかけで偶然この展示を観てしまった者にとっても、工藤の名前こそ忘れても、「あれはいったいなんだったのだろう?」というおぼろげな記憶だけは、かんたんには朽ちずに長く残り続けるだろう。そして思いもつかぬとき、不意に噴出して彼や彼女を驚かせるはずだ。
こうして、たんに意識して目で見るのだけではなく、観る者の心の底に澱(おり)のようにゆっくりと沈殿するその仕方が、工藤の作品の最大の特徴なのである。本展が工藤の代表作からとって「あなたの肖像」と名付けられるゆえんである。