啄木は枕元の妻に「おい、そこのノートをとってくれ。その陰気な」といった。ノートには約200首の短歌が記されていた。最後の歌集「悲しき玩具」となった。
その原本である直筆ノートが限定出版された。十数年前、わたしは岩手県の石川啄木記念館で入手した。いまも大切に保管している。筆跡が生々しい。添削した部分も。病が深まるにつれ、文字が弱々しくなっていく。
さて、臨終の日。1912年4月13日。歌人、若山牧水が立ち会った。幼い娘は、危篤であることも知らず、表に出て桜の花びらを拾って遊んでいた。牧水は幼子を抱きかかえて帰る。午前9時30分。死去。26歳。
立ち尽くし、啄木の生涯を思う。帰路。桜並木で知られる播磨(はりま)坂へ。桜花は散っていた。薄桃色の花びらが路上に舞う。悲しげに。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)
■逍遥 気ままにあちこち歩き回ること。