その部屋には静寂しかなかった。息をするのもためらわれる。「時間になりましたので始めます」。立会人の言葉を合図に、黒石が小気味いい音で打たれる。
ある程度の年齢になると「初」が少なくなるが、正真正銘、生まれて初めての体験をした。囲碁タイトル戦の開始に立ち会ったのである。
産経新聞社は囲碁タイトル戦の一つ、十段戦をもっている。4月、第3局と、さらに最終局の第5局を実際に見る機会に恵まれた。
対局室内の緊張感たるや、タイトルをかけた真剣勝負に臨む2人が、自分の1メートル先で向き合っている。正座の足のしびれを感じている余裕もない。二手目で退室したときには、思わず止めていた息を吐き出した。
人は戦うときがある。会社員だって自分の企画を実現させるために戦うことがあるだろう。もしくは家族を守るために、何かを守るために。でも、囲碁はそれ自体が戦いである。勝つか、負けるかしかない。
「囲碁は戦争なんですよ」。第3局で記録係を務めたプロ棋士が説明してくれた。碁石でより多くの陣地を作っていくのが囲碁だから、確かにそうだろう。