硫黄島での戦没者の遺骨収集作業を視察し、遺骨に手を合わせる安倍晋三首相(前列左から2人目)。硫黄島では今なお、1万3000柱の遺骨が収集されていない=2013年4月14日、東京都小笠原村【拡大】
内面に秘めた、優しさと強さを兼ね備える「薩摩おごじょ」の逸話に戻る。夫や父、兄弟の生死が判然とせぬ薩摩の女性は戦場を探し回った。ツルも一族の反対を抑え、四男を背負い種子島を出発、鹿児島で下船後は、熊本郊外の戦場まで歩いた。戦場では、雇った人夫を使い、気の遠くなるような数の穴にクワを入れた。出陣に際し着込んだ綿入れの柄が唯一の手掛かり。ツルは遺骨を抱いて故郷に還る。往復37日間の「女の闘い」であった。
ツルや米国の情念に比し、異国や孤島に英霊を放置して恥じぬ戦後日本の様は哀し過ぎる。彼の戦争において、外地で亡くなった大日本帝國陸海軍の将兵や軍属、一般邦人は240万人。内、113万柱の遺骨が野晒しか、海底に眠る。沈没艦艇や国によっては遺骨収集が困難な場合もあるが、即収集可能な遺骨は60万柱近くに達す。
遺骨収集事業は厚生労働省社会・援護局外事室が中心となって行われている。ところが、収集作業の中核となる外事室員はわずか40人。2013(平成25)年度中に国内外に派遣された政府職員は延べ161人で、身元鑑定の専門家やボランティアが延べ310人だった。予算も18億円に過ぎぬ。人員・予算共に年々増加傾向にあって、この程度というから唖然とする。人員・予算を増やせば柱数も増える実態は、過去のデータで証明できる。もっとも少々の人員・予算増で、今の収集ペースを多少向上させたところで、60万柱の収集だけで「ウン百年」もかかる計算だ。