民主国家が授ける将兵への敬意と名誉は、戦場に行かせるための“餌”などではない。将兵と一体と成り、国を護らんとする国民の感情より芽生えた「文化」であり「国是」である。
一方、日本は大東亜戦争にまともに向き合いもせず、合理とはほど遠い無意味な反省ばかりを口に出し、なぜ負けたのかを分析する、政府による本格的総括を怠ってきた。従って、安全保障に関し思考停止し、軍の保有や集団的自衛権がもたらす抑止力向上の重要性も理解できない。自衛官を「他人」と位置付け、自衛官との国防上の一体感に乏しいので、自衛官に敬意と名誉で接する「文化」も「国是」も育たない。
帝國陸海軍将兵に至っては、戦争責任をなすり付ける対象か「戦争に駆り出された悲劇の道具」とのみ思い込む。●(=鯖の魚が立)國神社の英霊を「心ならずも戦死された」と“悼んだ”小泉純一郎氏(72)は後者の類い。「進んでお国のために戦った」軍人がおられなかったら、この国はとっくに滅んでいる。日本国民は、敗戦から何も学んでいない。
「負けっぷり」が悪すぎる。(政治部専門委員 野口裕之)