その当時の写真を見るなりなんなりして思い出すとわかるが、実は私たちはつい十年前、二十年前の生活感覚とそれに根ざした言葉遣いというものを忘れてしまっている。
ところが落語という芸は、師匠から弟子に口伝えで伝えられる芸能なので、例えば百年前の生活感覚とそれに根ざした言葉が残っている。それを現代の観客におもしろく聞かせるための、ここに記される著者の高座での工夫は、そのまま、私たちが聞いたこともない、しかし、間違いなく人を通じて私たちの現代につながっているはずの過去の言葉を、私たちが生生と実感できる文章となっている。
もちろん、落語というのは、その語り口を耳で聞かせ、仕草・所作を目に見せてゲラゲラ笑わせるために発展してきた芸能で、私も落語を聞いて随分と笑ったが、しかし、ここでは、いまでは使われなくなった言葉が現れる度にそこで立ち止まり、その言葉をしみじみと味わい、感じ、私たちの現在と過去をつなぎ、現在を立体的に浮かび上がらせ、未来の言葉を豊かにすることができる。
なぜそんなことが可能なのか。それはここに記された言葉が一文字残らず、作者によって実際に上演され、客を笑わせてきた言葉、すなわち、学者が収集する死んだ言葉ではなく、生きた言葉であるからである。