たぶん、おのれを知的な人間に見せかけたかったのだと思います。まったく、恥ずかしいことです。若いころと書きましたが、これが中学生ならまだ、若気の至りでぎりぎり許されたかもしれません。でも私がそんなキャラ設定に走ったのは、成人してからなのです。まさに10年遅れてきた中二病。しかも、やっていること自体(読書)は、特別なことでは全然ないという情けなさ。履歴書の趣味の欄レベルです。でも当時はそんな自分の痛さに気づけずにいました。
三歩進み五歩下がる
自分にない知的さを求めていくと、自分の知的レベルには合わない本にも手を出してしまいます。「こんな本読んでいる自分すごい」と、悦に入りたいのだから、当然の流れとも言えます。
『死に至る病』(セーレン・キェルケゴール)は、最寄り駅の貸し出し図書コーナーで見つけました。利用者が読みたい本を勝手に持ち出し、読み終えたら戻す、そんな大らかなシステムの棚に、小ぢんまりとありました。文庫サイズで、思いのほか厚みもなかったように思います。
高校の倫理の授業で、著者名と著作名は知っていました。ちょっと哲学的な思考にも触れてみたかった私は、それを借り受けました。