佐々木氏も、昭和の終わり・ベルリンの壁崩壊(89年)から20世紀の終わりに(99年)挟まれた「世紀末」90年代の真ん中で大きな出来事が起きたのは、「経済だけでなく、オウムのような80年代のネガティブな問題も、臨界に達し、はじけた」と指摘した。
とくに現代美術では91年、羽田空港ちかくの大森にオープンした大型ギャラリー「レントゲン芸術研究所」が、ネオ・ポップ・ムーブメントの拠点となり、村上隆や会田誠、小沢剛らがデビューしていった。そのムーブメントを、過去のオリジナルから情報やイメージを積極的に作品に借用する理論「シミュレーショニズム」で援護射撃したのが椹木氏だ。
しかし95年には、バブル経済破綻の影響からくる資金不足から、レントゲン芸術研究所が閉鎖。椹木氏は「95年以降クレージーで面白い作品が少なくなった」と振り返る。一方で、95年ごろから現代美術の作品が買われる風潮、環境が整ってきたとも指摘した。