しかし、心棒というものは難しいもので、グニャグニャのいい加減な心棒だったり、粗悪な心棒だったりすると、すぐに曲がったり折れたりして、「少しくらいなら殴ってもいいか」となるし、かといってやたらと太くて固く、容易に曲がらない心棒だと身体が突っ張らかって人の通行の邪魔になるなど、逆に世の中の迷惑になることもある。
また、ある年齢になると、心棒の維持・管理、経年劣化した心棒の補修・交換などを自分の責任でやらなくてはならなくなるが、それがうまくいかずに心棒が曲がることもあるし、誤って変妙な心棒を入れてしまうことだってある。読み狂人などはその口で、変な心棒が山ほど入って、あまりにもおかしげな格好になっているので、人目を避けて物陰を移動しているようなていたらくである。
著名人にもある無名の時代
なんて私のことなどはどうでもよいが、そうして心棒のことを思ったのは、『何があっても大丈夫』を読んだからである。著者の櫻井よし子さんは著名なジャーナリストであるが、読み狂人が物心ついた頃には、既に著名で、著名ということはみなが知っているということで、したがってその人が著名になる過程を敢えて言う人もなく、また、いまのようになんでも検索する時代でもなかったので、読み狂人はいまにいたるまで、その人の経歴を知らぬまま、ときに新聞やテレビなどでその意見に耳を傾けてきた。