ところが、この自伝、または自伝的な作品を読むと、当たり前の話だが、著者にも無名の時代があり、さらには、学生時代、幼年時代もある。まあ、それを綴ってあるから自伝なのだけれども、驚いたのは、その心棒の強さとしなやかさで、普通の人間であれば、まず間違いなく心棒が屈折するような局面、はっきり言っていまの人間だったら、大曲がりに曲がってしまうような局面で屈折も屈曲もせず、心棒を維持して生きる様に驚く。また、小説家であれば、あるいは小説家でなくても、その苦しい様子を、大喜びで、これでもかというくらい執拗に、ブルース風味で描くところを、この本の場合、まったくそっち方面にいかないというのは、そうしないという心棒が作者に入っているからであるように思う。