【本の話をしよう】
私は読み狂人。朝から晩まで読んで読んで読みまくった挙げ句、読みに狂いて黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人は先ほどからせつない気分でいる。なぜかと言うと、青木淳悟の『男一代之改革』を読んだからである。
『男一代之改革』には、「男一代之改革」「鎌倉へのカーブ」「二〇一一年三月-ある記録」の3編が収められているが。どれもせつなかった。例えば、「鎌倉へのカーブ」は30代前半かそれくらいの夫婦、の特に夫の方が道路や鉄道について考えたり、経巡(へめぐ)ったり、経巡ること考えたりする話で、というと、それのどこがせつないのか、と思うかも知れないが、これが極度にせつない。
どこがせつないのか、なぜせつないのか、というと、それは不思議なせつなさで、例えば、道路がそこに引かれてある、ということ、そしてそこを人が通行するというただごとが、この小説を読んでいると不思議にせつなく思えてくる。
合理的ばかりではない
道路というものは、読み狂人は道路を開鑿(かいさく)しようと思ったことは当たり前の話だがないのだけれども、その時点で誰かが合理的な理由で開通せしめたものだろう。ここに道があった方が物産を運びやすいとか、兵力を動かしやすいとか。