天誅(てんちゅう)組。ご存じだろうか。激動の幕末。土佐出身の若き志士、吉村虎(寅)太郎らが大和・五條(奈良県五條市)で決起。代官所襲撃後、山深い吉野地方を転戦し、武力倒幕の魁(さきがけ)となった。
初秋。JR東京駅近くのそば屋。奈良から上京してきた天誅組研究家、舟久保藍(あい)さん(41)ら3人と会った。
わたしは新人記者として奈良支局に赴任した。天誅組に深い関心を抱き、戦跡をたどって取材。長期連載した。その記事(コピー)を読み、天誅組談義をしたい-との連絡があったのだ。
舟久保さんは歴史好きな少女だったという。学生時代、運転免許を取得。早々に車を運転して東吉野村を訪れた。天誅組が、包囲する幕府軍に対して最後の決戦を挑んだ戦場だ。
「虎太郎が戦死した地に立った。土佐と大和。すごく離れているのに、なんで、ここで死んだんやろ。この人のこと、天誅組のこと、もっと、もっと知りたいと思いました」
図書館に通った。天誅組の志士が書いた記録などを読み込んでいった。独学。読解するのに非常に苦労したという。また、奈良の旧家を訪れた。虎太郎が銃弾を受けたさい、かくまった。残された「血染めの襦袢(じゅばん)」を拝見することができた。手にした。