そんな中で田中さんはタンカンの有機栽培を始めます。ポンカンとネーブルオレンジの自然交雑でできたタンカンは、柑橘(かんきつ)系の果物の中では一番糖度が高く、また、その濃厚な果汁にはみかんの約2倍のビタミンCが含まれています。おいしくて、何より安心して食べられるものを作りたいという強い思いから、新しい苗が市場に出るのを待って、山を切り開いた三反の土地にタンカンを植栽しました。周りの農家は皆、収益性の高いポンカンの生産をしており、それ以外の新しい果実、ましてや有機栽培という手間のかかることをする必然性は、なかなか理解されなかったといいます。せっかく植えた木が台風の影響で全滅するなどの危機を乗り越え、昭和53年、小粒ながら甘みの強いタンカンの収穫に成功します。やがて、世の中の金融バブルがはじけ、景気の低迷とともにポンカンの出荷数も下降。社会状況の変化とともに、食の安全や環境問題に対する関心が高まってきました。自分たちの集落で皆が豊かに暮らしていける未来を願い、安心なものを地道につくり続けた田中さんの時代がやってきたのです。