種を取った山椒(さんしょう)の実から丁寧に枝をより分ける「かねいち」の辻了(さとる)さん。小さな枝が爪の間に入って痛いが、この一手間が鮮烈な色と香りを生み出すのだ=2014年2月11日、和歌山県海南市(塩塚夢撮影)【拡大】
「決めては、この山椒のすごさですね。誰かが継がないと、なくなってしまうわけですから」。当時は原料の卸が中心で、粉に加工した山椒は地元で消費するだけだった。「地元だけでは消費量も限られている。外に発信しなければ生き残っていけない」
書道の腕前をいかして、手書きのはがきとともに全国約2000店の鰻料理店などに小分けのサンプルを発送。認知度が徐々に高まり、「リピーターも定着して、ここ2、3年はいろんなところで『山椒って、こんなにすごいんだ』と思ってもらえるようになってきた。収入も個人商店としては十分なほど」という。
石臼を回すのは、辻了(さとる)さん(70)。山椒を乾燥させ、種と枝を手でよりわけ、石臼で挽く。「小さい枝が爪の間に入って痛いんですわ。でも、こうやって丁寧により分ければ、ええ色と匂いになるねん」
「肩も腰もパンパンになる」と話す通り根気のいる作業だが、15歳でかねいちに入って以来、55年間山椒に向かい続けてきた。「自分が挽いた山椒を人にあげたら、『この山椒、めっちゃええわ。辻さんってすごいなあ』って言ってくれる。それがうれしいんですな」(取材・構成:塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS)