判決によると、2011年3月11日午後2時46分の地震発生後、海岸から約750メートルの教習所は授業再開を検討し、教習生を敷地内に待機させた。その後打ち切りを決め、午後3時40分ごろ、教習生が分乗した送迎車などを出発させたが、津波にのまれ、4台の23人が死亡した。発生時に路上教習で内陸側にいた2人は、海側の教習所に戻った後、徒歩で移動中に被災した。
教習生は当時18~19歳。アルバイト従業員の女性は、教習所か周辺で津波に巻き込まれた。学校側は津波の到来は予見できなかったとして請求棄却を求めていた。学校側は「コメントは差し控える」との談話を出した。
教習生25人の遺族が11年10月に提訴。女性の遺族も12年4月に訴えを起こし、一緒に審理されていた。
≪「やっといい報告できる」「危機管理意識の向上を」≫
「やっと子供たちにいい報告ができる」。東日本大震災の津波で宮城県山元町の常磐山元自動車学校の教習生25人とアルバイト従業員の女性が犠牲となり、遺族らが賠償を求めた訴訟。仙台地裁が13日、約19億1000万円とほぼ満額の賠償を命じる判決を言い渡し、遺族らは安堵(あんど)の表情を浮かべた。