午後10時5分に御堂で法要がスタートし、撞き手が鐘楼へ移動、10時35分から鐘楼でも法要が始まった。
僧侶たちが「南無阿弥陀仏」の6字だけをひたすら唱え、それが除夜の鐘の終了まで続く。何千回繰り返すのだろう。この日眠りにつくまで、僕の頭のなかは「南無阿弥陀仏」の輪唱が続き、多彩な抑揚のバリエーションまでも耳に焼き付いて離れなかった。
≪一つ一つ 大切に打ち鳴らす≫
午後10時40分、とうとう除夜の鐘が始まった。知恩院の鐘は、親綱1人、子綱16人、合わせて17人の僧侶によって撞かれる。「えーい、ひとーつ」と親綱を握った僧侶が声をかけ、子綱の16人による「そーれ」の掛け声とともに、親綱をもった撞き手があおむけにぶらさがるようにして、体全体を使って大鐘を打ち嗚らすのだ。その迫力に目が離せなくなる。
大鐘の重低音が嗚り響き、60秒間隔で約2時間、交代で鐘を撞き続けるのだが、僕の体感としてはあっという間のことだった。僧侶たちの撞き方が一人一人個性にあふれ、見ていて飽きない。若い人は力いっぱい撞き、熟練の僧侶はしなやかに力をこめ、まるで飛ぶように軽やかだ。僕もどこから撮るかを一生懸命考えて撮影した。そのうち鐘を衝く僧侶たちに、僕も同調するように息を合わせていた。