むしろ小学生の時に母に連れられて行ったマイケル・ジャクソン(MJ)のコンサートでの興奮というのが浮かび上がる。「BAD」のツアーで、私はほとんどMJのことを知らずして行ったのにも関わらず、椅子の上に飛び乗って興奮しまくり、というかほとんど踊って、フーズバッドと英語をシャウトした、かどうかはわからないが、盛り上がったこと盛り上がったこと。
この体験によってたちまち私は踊れるポップ・スターに憧れてせっせとダンス・スタジオに通う、ということはなく、むしろやたらと背が伸びる思春期に、自分の肉体を持て余し、読書や映画鑑賞などにふけって、それでもMJの興奮は自身の中でうごめいているものだから、MJを聴いて踊り狂ってみたり、映画『ホワイトナイツ』のミハイル・バリシニコフになろうと跳ね上がってみたりするも、コキコキと奇怪になるばかりで恥ずかしい様子この上なく、踊るということは鑑賞すべきもので、私のような極めて身体の硬い痩せノッポは無理にせずともよろしいという結論に無意識にたどり着き、MJに興奮したことなど記憶のかなたに追いやって、演劇の道を選択する。