福島県郡山市で避難生活を送る亀田光一さん(61)は、南相馬市の自宅で同居していた父、安太郎さん=当時(82)=を震災の11カ月後に亡くした。原発事故で避難先を転々とした末、介護施設で嘔吐(おうと)し誤嚥性肺炎を起こしたためだった。
光一さんは南相馬市に震災関連死の認定を求めたものの、「施設で介護を受けていた」として認められなかった。光一さんは異議を申し立てなかった。その理由に納得したわけではない。
「自分たちの生活で手いっぱいで、そこまでする気はない。(異議の)申し立てをしても答えは同じだろうから、これ以上はしないよ」
南相馬で生まれ育った安太郎さんは福島第1原発の建設工事に携わった後、人生の半分を農業にささげた。自宅で牛も育てた。寡黙でグチひとつ言わず、一生懸命働く人だった。
原発事故で光一さんの姉の自宅に避難した後、福島県伊達市の介護施設に入所した。11年4月に腸閉塞を患ったが完治して退院。故郷の伝統行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」を見るのを楽しみにしていた。体調に不安があったため、光一さんらが諦めるように説得すると、「あんなにがっかりした様子は見たことがなかった」ほど落ち込んだ。