岸部は彼らに20歳の頃の自分を見たような気がした。その頃の岸部といえば、音楽の道を志し、生まれ育った古都・京都がどこか窮屈な存在にも思えて、大阪や東京へ出ていくことばかり考えていた。視線のはるか向こうにはあこがれの「ザ・ビートルズ」がいて、彼らを生んだリバプールに世界中の道が音楽を通してつながっているような高揚感すら覚えていた。だが、京都はそんな岸部に対して思いのほか、温かかった。「その頃はエレキギターを持つことなんて『不良』というのが大人の考え方だったし、男が髪の毛を伸ばすことも『不良』とされていました。でも、京都の奥深さというのでしょうか、僕ら“子供”に対して京都は『頑張れよ』と温かく見守ってくれる気風も持ち合わせていたんです。そんなことを思い出したら、京都生まれの僕も、何かを創り出そうと必死に頑張っている京都造形芸術大学の学生たちを応援しようという気持ちになりました」