シンガポールで支持者に手を振る、在りし日のリー・クアンユー氏=2011年4月27日(AP)【拡大】
戦前から東南アジア華僑の中心地だったシンガポールでは、「昭南島」と呼ばれた大戦中の統治をめぐり対日批判が根強かった。リー氏は戦時下の華僑弾圧をめぐる対日交渉を素早く処理し、日本の投資や技術移転を積極的に誘致することで工業化の追い風とした。
中国語の文化や教育を抑え、実質的に英語中心の社会に移行したことは、華人層の不満をよそにシンガポールを世界経済に組み込む基盤となった。歴史問題は日本との経済提携を妨げる要因とならなかった。
他方、リー氏は台湾の蒋経国元総統、中国の●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)氏と親交を結ぶなど、中台両岸に影響を持つ華人政治家という地位も占めた。
エリート支配を正当化
ただ、言論や結社の自由など国民の政治、社会的な諸権利を抑え、監視により国家の安定を維持した側面は否定できない。与党・人民行動党(PAP)に有利な選挙制度の下、従順な国民には住宅供給や年金制度などの「アメ」が豊富に与えられる一方で、体制批判に走ればさまざまな「ムチ」が待ち受けていた。