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勝利の歴史刻む「要塞都市」 デンマーク・フレデリシア (1/3ページ)

2015.4.28 18:25

フレデリシアのしっかり保存された堡塁(ほうるい)では、今でも大砲が壁外の“敵”を狙っている=2015年4月20日、デンマーク(銭本隆行さん撮影)

フレデリシアのしっかり保存された堡塁(ほうるい)では、今でも大砲が壁外の“敵”を狙っている=2015年4月20日、デンマーク(銭本隆行さん撮影)【拡大】

  • かつて“町の玄関”であったプリンセス門。現在も市民が往来に使っており、門の上ではデンマーク国旗がはためく=2015年4月20日、デンマーク・フレデリシア(銭本隆行さん撮影)
  • 要塞の堡塁(ほうるい)をモチーフにした穴から湧いた水が、フレデリシアの商店街を流れ下る=2015年4月20日、デンマーク・フレデリシア(銭本隆行さん撮影)
  • 1849年7月6日の勝利を祝した兵士の像。1858年に建立された=2015年4月20日、デンマーク・フレデリシア(銭本隆行さん撮影)
  • 荘厳な趣の旧市庁舎。現在は会議室などに利用されている=2015年4月20日、デンマーク・フレデリシア(銭本隆行さん撮影)
  • デンマーク・フレデリシア

 【Viva!ヨーロッパ】

 ヨーロッパはほとんどの国が肩を寄せ合って存在してきており、血なまぐさい戦争が昔から絶えなかった。そのため、各国は要衝に「城」「要塞」を築き、他国の侵攻を防いできた。デンマークも同様で、最も大切な拠点の一つが要塞都市「フレデリシア」であった。

 国王にちなんだ名前

 デンマークでは1640年代、ドイツの30年戦争(1618~48年)に絡むスウェーデン軍のユトランド半島への侵攻を許した苦い経験から、半島に要塞を建設することを決めた。要塞都市は当初、建設を命じた王、フレデリク3世(1609~70年)にちなみ、名前を「フレデリクスオッド」とされたが、1664年にラテン語風に「フレデリシア」と改名された。

 三角状の岬の両岸を堀と城壁で弓状に取り囲み、内部は碁盤の目のような市街が形成された。しかし、敵の砲撃にさらされないように内部の建築物は低層化されていた。

 新たに出来上がった市街へ市民を移住させようとしたが、なかなか進まず、宗教の自由や免税権などをちらつかせ、移住を促進した。その結果、デンマーク人だけでなく、ユダヤ人やフランスからのユグノー(プロテスタントの一派)も多く移り住んだ。そのため、今でもこの町ではフランス語由来の苗字が多い。

毎年7月6日にお祭り

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