杭谷さんはイタリアでの修業時代、落ち込んだり打ちのめされたりしたとき、コロシアムやパルテノン神殿などの古代遺跡を見て「同じ人間が作り上げたものからエネルギーをもらった」という。そして「あのとき自分が感じたように、訪れた人たちに未来への活力や希望を感じてもらい、励みになれたら」という一心で庭園を制作したという。
イタリアから運んだ大理石を助手と2人で掘っては運び、重機を使って組み立てた。設計図はいっさいない。「回りの山並みや海と対話して、この石はどこに行きたがっているかをよく聞いてそこに持っていった」と話す。「こうすると空間が躍動するのです」
杭谷さんは、文化勲章受章者で彫刻家の伯父、圓鍔勝三(えんつば・かつぞう)氏に師事。1962年の日展初入選以来、具象彫刻で連続8回の入選を果たした。しかし、東京で見た「イタリア巨匠展」で、「同じ具象彫刻なのにこんなにオリジナリティーがあるのか」と衝撃を受けた。「空間が動くような作品を生み出す」ファッティーニ教授に師事したいとローマへ渡り、イタリア国立アカデミー彫刻科3年に編入した。27歳のときだ。