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「天下分け目の合戦」再考 「大関ケ原展」 (1/4ページ)

2015.4.20 11:40

重要文化財「関ケ原合戦図屏風」(右隻、大阪歴史博物館蔵、提供写真)

重要文化財「関ケ原合戦図屏風」(右隻、大阪歴史博物館蔵、提供写真)【拡大】

  • 重要文化財「関ケ原合戦図屏風」(左隻、大阪歴史博物館蔵、提供写真)
  • 重要文化財「小早川秀秋像」(京都・高台寺蔵、提供写真)
  • 重要文化財「関ケ原合戦図屏風」(左隻、大阪歴史博物館蔵、提供写真)

 【アートクルーズ】

 徳川家康が没して400年目を迎えている。およそ300年に及ぶ太平を築いた徳川幕府。その幕藩体制が始まるきっかけになったのが「関ケ原の戦い」(1600年)だ。東京江戸博物館で開かれている「大関ケ原展」で、その戦いの意味を考え直してみたい。

 9月15日、関ケ原には約20万人の武士が、東軍と西軍に分かれて対峙(たいじ)した。会場ですぐに目を引くのは、重要文化財「関ケ原合戦図屏風」など、壁一面に展示された3つの合戦図だ。旗印などによって、東軍は福島正則、黒田長政、井伊直政ら、西軍は石田三成、大谷吉継、島津義弘らの軍勢が判別できる。一触即発の場面を再現した大パノラマだ。

 しかし、戦いが1日で終わり、それも数時間で大勢が決したことを知らない人は多い。そのきっかけになったのが、西軍につくと思われていた小早川秀秋の裏切りだった。秀秋は義理の叔父・羽柴秀吉の養子になり、ゆくゆくは豊臣家を継承する可能性があるとみられていたが、秀吉に秀頼という跡継ぎが生まれると、小早川家と養子縁組させられていた。

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