家康の「問鉄砲」は真実か
秀秋の裏切りで、よく知られるのは「問鉄砲(といでっぽう)」の場面。いつまでも裏切ろうとしない秀秋にしびれを切らした家康が、小早川陣営に向けて鉄砲を撃たせて催促する。司馬遼太郎の「関ケ原」では、こう描かれる。
火縄をはさみ、火蓋(ひぶた)をひらき、いっせいに引き金をひかせた。硝煙があがり、銃声は天へふきあがった。「なにごとだ」と、山頂で、秀秋はかん高い声をあげた。
「指物に覚えがござる。あれは内府(家康)の鉄砲頭布施源兵衛でござりましょう」と側近の者がいった。
「なに内府が」
「督促でござろう」と平岡石見がいった。(中略)秀秋のほうは顔色が変わっていた。「内府が怒っている。岩見、早くせぬか」
「裏切りでござるか」
「知れたこと」