1万5000といわれた一大勢力、秀秋の寝返りで西軍は総崩れとなる。ただ、「関ケ原合戦の真実」(白峰旬著)などによると、問鉄砲のエピソードは、関ケ原の合戦直後の一次史料には登場せず、江戸時代中期ごろの文献で登場するため、合戦話をもり立てる作り話ではないかとの説がある。
しかし、秀秋の寝返りを促した文献は現存し、展示されている。「浅野幸長(よしなが)・黒田長政連署状」(島根県立古代出雲歴史博物館蔵)がそれだ。黒田長政だけでなく、家康らの書状もたくさん公開されている。この時代、人心を掌握し、権謀術数を巡らすために、手紙は欠かせないツールだったのだ。
展示はほかに、石田三成が所有し、戦いの傷痕が残る刀「無銘 正宗 名物 石田正宗」(重要文化財)や、家康が関ケ原で身につけていた「伊予札黒糸威胴丸具足」(重要文化財)など、歴史ファンなら一度は見ておきたいものも多い。東京展示157件は京都、福岡の巡回で総数352件まで増えることになっている。この際、九州まで攻め入ってみるのも一興かもしれない。(原圭介/SANKEI EXPRESS)