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ソ連の抑圧と闘い続けた「白鳥」 20世紀最高のバレリーナ M・プリセツカヤさん死去 (2/3ページ)

2015.5.4 08:00

2006年5月28日、ドイツ・バイエルン州ミュンヘンのバイエルン・バレエ劇場リハーサル室でインタビューに答えるマイヤ・プリセツカヤさん(飯田英男撮影)

2006年5月28日、ドイツ・バイエルン州ミュンヘンのバイエルン・バレエ劇場リハーサル室でインタビューに答えるマイヤ・プリセツカヤさん(飯田英男撮影)【拡大】

  • 1996年3月3日、70歳のときにウクライナ・首都キエフでの公演で踊るマイヤ・プリセツカヤさん(AP)

 89年にボリショイ劇場のソリストを退くが、80歳を超えても現役ダンサーとして舞台に立ち続けたほか、振り付けや演出に取り組んだ。自身の名を冠した「マイヤ」と呼ばれる国際バレエコンクールを主宰するなど若手育成にも尽力した。

 当局から24時間監視

 「この地上にソ連の政権から逃げていける安全な場所などなかった」

 世界文化賞を受賞した際、ドイツ南部のミュンヘンにあるバレエスタジオでのインタビューで、旧ソ連当局の抑圧を受けながらバレエ界に新風を吹き込み続けた不屈のプリマは、こう語った。

 両親は独裁者スターリンによって逮捕され、突然消息を絶った。父親が銃殺された事実を知ったのは、ソ連末期にグラスノスチ(情報公開)が始まってからだ。父親はスターリンによる大粛清で犠牲となった数百万人の一人だった。

 才能が認められてボリショイのプリマになってからも、当局から24時間監視され、外国公演が許されない苦悩の日々が続いた。

抑圧と苦難に直面したソ連での暮らし

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