5月24日のトロントでのマリナーズ戦に出場した川崎宗則(むねのり)選手。5月22日に今季メジャー初昇格を果たし、3試合に出場したが、わずか3日間で再びマイナーに降格となった=2015年、カナダ・オンタリオ州(AP)【拡大】
英語だけでなく、中南米選手とのコミュニケーションのためにスペイン語の辞書も買い、遠征の移動中に勉強していたそうです。球場から戻ると自らの身体を自分で入念にマッサージ。支えてくれる妻がしてくれることも。厳しい環境で戦っていることが想像できました。スター選手のこんなエピソードを直接聞けば、子供たちがやる気になるのは間違いありません。
森脇コーチの言葉
シーズンを終え帰国すると、決まって日本球団からオファーが届きます。ある球団の首脳は「そもそも日本球界に残っていれば、残りのプロ生活で20億円以上も稼ぐことができた」と断言します。しかし、彼は首を縦には振りません。「野球をもっとうまくなりたい」。この思いが彼の原動力なのです。マイナー契約でも、年俸がどんなに安くても、彼は挑戦を決してあきらめないのです。
かつて、彼からこんな話を聞いたことがあります。時間の使い方についてです。ダイエーホークス(当時)に入団して20歳を過ぎたころ、ようやく開幕1軍に手が届きそうなところまできました。しかし、選手層の厚さからかないませんでした。その夜、当時のコーチだった森脇浩司(ひろし)・オリックスバファローズ監督に食事に連れて行かれたそうです。