「花魁(おいらん)」(展示用非売品)。花魁が履いていたものではなく、花魁をイメージした。大門と呼ばれていた遊郭の正門を正面に大きな牡丹をあしらい、裏には丸い窓(張見世)から中の金魚(花魁)を覗くことができる=2015年6月17日(田中幸美撮影)【拡大】
「会社として請け負ったものでなく、自分の履物を作りたい」。一から靴作りの勉強をしようと、退社して靴作りの学校を探すために渡英した。しかし、ロンドンの町で、靴の高級ブランド店に日本人女性が群がる光景を目の当たりにして違和感を覚えた。「海外で勉強したい自分も“海外”というブランドがほしいだけなのでは」。そして、「日本には昔から下駄がある。下駄で何か面白いものができるのでは」とひらめいた。24歳のときだ。
下駄職人の展示会に赴き、静岡の郷土工芸品に指定される「駿河塗下駄(するがぬりげた)」の名人、佐野成三郎さんに半ば押しかけ的に弟子入りした。このとき種類や制作工程など下駄に関する知識はほとんどなかったという。ところが、試しに1つ作ってみたところ、子供のころから好きだった「絵を描くことができて、履物も作れる」と、自分の決断が間違っていなかったことを改めて認識することに。
平日の昼間に仕事をしながら週に1、2回佐野さんの仕事場に通い、下駄作りを学ぶ生活を約6年続けた。それは下積み修業というより、絵付けや塗りなど楽しい作業を中心に行う「カルチャー教室のようだった」と振り返る。