守りを怠らず、多彩な攻めも際立った。「試合の中でも、攻防を随所に変えることができたのが非常に良かった」と自賛する納得の戦いぶりだった。
マシアラスとの決勝では7-2から連続して5点を許し、追い付かれた。それでも豊かな経験を誇る日本の第一人者は動じなかった。丹念に剣を出して確実にポイントを重ね、栄冠をたぐり寄せた。日本協会の江村宏二強化副本部長も「剣が速く、瞬間的なひらめきがある」と舌を巻いた。
招致の「顔」、リオ照準
競技を一時離れて携わった五輪招致でも活躍した太田は、一選手の枠を超えた日本の顔だ。
日本協会の斉田守専務理事は、太田が18歳で出場した04年アテネ五輪の頃のことを覚えている。「右も左も分からなくて、元気が良くて先輩たちにいじられて」。それでも「先を見据えていた。絶対俺はメダリストになるんだというイメージがあったと思う」と、大物ぶりを感じていた。