「財界総理」にこだわり
リーマン・ショックの影響で、東芝は収益の柱の半導体事業が低迷し、08年度の決算に3435億円の巨額の最終赤字を計上した。当時社長だった西田氏は責任を取る形で、09年6月に佐々木氏に後を託した。
会長となった西田氏は佐々木氏に業績向上を強く求め、会議の場で経営への不満を公然と口にしたという。一方、佐々木氏は西田氏への反発を強め、2人の関係は急速に悪化した。その反動からか、佐々木氏は現場に予算目標の達成の圧力を強めていった。西田氏の姿勢について東芝の有力OBは、「『財界総理』への執念が業績への強いこだわりにつながった」と語る。
当時、日本経団連の副会長だった西田氏は、財界総理と称される経団連会長の有力候補とされた。経団連会長への就任の条件として業績向上は必須だった。東芝の利益至上主義はここから始まったともいわれる。
「次を頼む」。日本経団連会長だった御手洗冨士夫現キヤノン会長兼社長は09年、西田氏に打診した。石坂泰三氏、土光敏夫氏に続く、東芝から3人目の財界総理の椅子は目前だった。