甲子園出場を決めナインに胴上げされる鳥羽の山田知也監督=2015年7月27日、京都市右京区の「わかさスタジアム京都」(共同)【拡大】
全6試合で本塁打はなかったが、ライナー性の打球が光った。決勝でも主導権を握り、九回は1死二、三塁と一打同点のピンチを迎えたが、春夏連続出場を狙った立命館宇治の反撃をしのいだ。
京都二中の創立は1900(明治33)年。15年に始まった全国中等学校優勝野球大会を制し、戦後再開された46年夏にも準優勝した。48年の学制改革で一度は廃校となったが84年、跡地に鳥羽として再スタート。京都二中創立100年の2000年には春と夏に復活出場し、またしてもメモリアルイヤーで強さを発揮した。
第1回大会出場校では早実(西東京)とともに聖地に立つ。捕手を務める攻守のキーマン、梅谷成悟主将は「甲子園に行くからには日本一になりたい」と100年ぶり全国制覇を目標に掲げた。(SANKEI EXPRESS)