≪3つあった防空施設≫
終戦時、皇居内には昭和天皇のための防空施設が3つあった。現在、天皇、皇后両陛下の身の回りのお世話をする侍従職が使用している宮内庁庁舎の増築部分は、1936(昭和11)年に宮内省の内廷庁舎として完成したが、この地下に「金庫室」と呼ばれる防空施設がつくられた。
だが、さらに頑強な防空施設が必要とされたことから、41年5月、昭和天皇の住まい兼防空施設として、地上1階地下2階の御文庫の建設を開始。完成までの予備の防空施設として付属室が陸軍により、41年8~9月に急遽(きゅうきょ)造営された。
造営工事は「戊号(ぼごう)演習」と名付けられ、軍の演習名目でひそかに行われた。42年7月に御文庫は完成。戦争が長引くにつれ、昭和天皇の居住場所や仕事場も明治宮殿から宮内省内廷庁舎、御文庫へと徐々に移っていったという。
東京大空襲があった45年3月頃には御文庫と付属室を結ぶ地下道の建設に着工。5月頃に完成した。だが、米軍がヒトラーの山荘を強力な爆弾で空爆したとの情報などから、45年6~7月、付属室の補強工事が実施された。地下道は戦後埋められたが「経緯は不明」(宮内庁)という。(SANKEI EXPRESS)