【続・灰色の記憶覚書(メモ)】
東京都渋谷区千駄ケ谷の13階建てマンションの7階の部屋は、玄関を出た共有の廊下からでなければ、神宮球場の花火を眺めることはかなわなかった。
まず花火が打ち上がり始めると、反対側の明治神宮の方向から音がしたような錯覚に陥る。少年の私は、それが大きなマンションからの反響音であることを知りながら、決して花火の見えない方向へ駆け出した。
そっちじゃないよ、と母の声。しかし私は花火の音だけが聞こえる夜空に、花火の木霊(こだま)にひき付けられた。もちろん大輪の咲かぬ夜空は次第に色あせて、いずれ共有の廊下にいそいそと出てゆくのだけれど、そこから見てもどうしたってビルやら何やらで、花火の一部は欠けてしまう。
私は頬づえをついて、むしろやはり音を楽しんだ。日常では決して聞くことのない爆発音は私を興奮させた。背後で木霊が聞こえて来る。ないとわかっていても、前でも後ろでも花火が上がっている光景を夢想するのは面白かった。