第一幕《54年2月3日夜7時半、都内のアパートで節分の豆まきを終えた室井は窓を閉める際、電柱の陰に口笛を吹く人影を見た。妻に「たばこを買いに行く」と言って出た。資料では「たばこ」が「仁丹」だったが、妻は「たばこは買い置きがあったのでいぶかった」ことを覚えており、室井の記憶違いかもしれない。肩をたたかれた室井が振り向くと、中国人風の男が「自殺しろ」と、低いロシア語でささやき、走り去った。2日前、在日ソ連代表部(大使館に相当)が「ラストボロフは挑発目的の米国諜報機関に拉致された(実は亡命)」と発表していて、口封じで「消される」と直感した》
19年後の謎の死
第二幕《妻は回想する。「翌日夜10時、真っ青の顔の主人に打ち明けられ愕然とした。バッグに下着や預金通帳を詰め、住人に悟られぬよう素足で階段を降り、上野の旅館に隠れた。4回目の結婚記念日だったが一晩中、逃亡か自首かを話し合った」》
第三幕《室井は事件後4回、居所を変え反省したかに見えたが、日本の公安組織も甘くはない。63年6月19日以降、ソ連側との接触を確認している。前後して、室井は石油開発会社の常務となる。「数日日本で、30~40日をソ連で過ごすハードな生活の繰り返しだった」と妻。自民党親ソ派大物代議士や経済人の推薦を受け、ソ連での石油開発を手掛けていたのだ》