米国諜報機関の犯行とも推定できるが、ソ連の毒殺史も年季が入っている。米国は第二次世界大戦(1939~45年)中、末期がん患者の1人に210を水に溶かして与え、4人に注射を打ったが、6日間生きた1人を除き、微小な投与で極短時間で死亡した。核爆弾開発《マンハッタン計画》に携わる関係者の生命に関する影響を検証する人体実験とみられる。ソ連は1920年代に《毒物研究所=第12号研究室やラボXの別称アリ》を創設。ドイツ軍捕虜に210を服用させる人体実験を行ったようだ。近衛文麿・首相(1891~1945年)の長男・文隆氏(1915~56年)も毒殺したとされる。ソ連側公表の「動脈硬化を発端とする脳出血と急性腎炎」は、到底信じ難い。戦後11年もの間、過酷な抑留・拷問に耐え、協力者要請を拒絶した若くハツラツとした貴公子が、敗戦・占領で虚脱した日本の指導者に迎えられる→生気を取り戻した日本に、ソ連収容所の表裏を知り尽くす首相が誕生…。こうした構図はソ連にとり最悪だった。「一服盛った」との有力観測は、この辺りより浮上する。