外形はできるだけ小さく、室内は広く、「5平方メートルカー」をキャッチフレーズに「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した「シャレード」【拡大】
滋賀県内の水田で水をくみ上げる灌(かん)漑(がい)用に昭和8年、納入されたものを譲り受けた。約20年間にわたって年間約千時間、計約76万平方メートルもの水田に農業用水を供給し続けたという。
《ダイハツは「日本の工業化には国産エンジンの普及が不可欠」と考えた官立大阪高等工業学校(現・大阪大工学部)の校長、安永義章が大阪の実業家らに呼びかけ、明治40年3月に「発動機製造株式会社」として創立。今でいう“大学発ベンチャー”のようなもので、大阪駅の北に工場を建て、工業用のガスエンジンを手始めに発電用や船舶用へと手を広げていった》
灌漑用発動機の隣にあるのは、オートバイと荷車を合体させたようなオート三輪だ。同社のオートバイ用エンジンを搭載し、昭和6年に第1弾を発売。社名が「大阪にある発動機製造会社」を略し「大(だい)発(はつ)」と呼ばれたことから「ダイハツ号」と名付けられた。
当時のオート三輪は運転免許が不要なうえ、道幅が狭い日本の実情にぴったりだったため人気を集め、同社が量産化したダイハツ号はエンジンメーカーから自動車メーカーに移行する転機にもなった。