一般的に戦闘機は機種ごとに操縦方法や機体のクセなどが違うので「機種転換訓練」が必要になるが、韓国説では、10人は大日本帝国陸軍で熟練パイロットだったので、機種の違いは問題とならなかったというものだ。なかには天候悪化のなか数日の訓練で操縦をマスターしたとの説もある。
しかし、当時の米軍パイロットの回顧録によると事情は異なる。
朝鮮戦争の勃発で韓国に急派された米国空軍第18戦闘爆撃飛行隊のデュアン・バイトマン中佐の記録によると、10人の韓国人パイロットは、それまで米国製の練習機「T-6」で短期間訓練したに過ぎず、F-51を空輸したのは米軍部隊だった。韓国人パイロットのうち数人は強い希望でF-51に乗って地上攻撃に出たものの、最初の出撃で対空砲火によって隊長機が墜とされ、米軍の現地指揮官は「貴重な機体をこれ以上失うわけにはいかない」と判断。そもそも米軍の判定では全員、操縦技量が未熟だと断じられていた。結局、F-51には米空軍パイロットが搭乗することと決定。韓国軍パイロットは「モスキートになった」とされている。