【試乗インプレ】懐かしの名車多数 欧米を猛追する戦後国産車の躍進 トヨタ博物館見学記(後編) (1/5ページ)

  • 一つ目小僧みたいでかわいいフジキャビン・5A型(1955年・日)。ハンドルは楕円形。トヨタ博物館
  • 長く愛された2大“国民車”左からフォルクスワーゲン・タイプ1(1951年・独)、シトロエン・2CVタイプA(1953年・仏)。トヨタ博物館
  • 日本ではルパン三世の愛車としても知られるフィアット・ヌォーヴァ500(チンクエチェント)L(1972年・伊)。1957年から20年にわたり生産されたロングセラーで展示は1972年モデル。トヨタ博物館
  • 横置き・FF・2ボックスの設計が現在の一般的なコンパクトカーの先駆に。モーリス・ミニマイナー(1959年・英)。トヨタ博物館
  • 前面パネル全体がドアという斬新な発想。BMW・イセッタ(1959年・独)。今と同じプロペラモチーフのBMWエンブレムもついてます。トヨタ博物館
  • 1周、いや3周くらい回って未来的。メッサーシュミット・KR200(1955年・独)。トヨタ博物館
  • 伊、独、仏の代表的大衆車がそろい踏み。後ろ姿にも愛嬌があってそれぞれ個性的。トヨタ博物館
  • 同じ頃日本では…左からフジキャビン・5A型(1955年・日)、フライングフェザー(1955年・日)。トヨタ博物館
  • 終戦から10年目にデビューした初代。トヨペット・クラウンRS型(1955年・日)。トヨタ博物館
  • トヨタ・ランドクルーザーFJ-25L型(1957年・日)。トヨタ博物館
  • おなじみ“てんとう虫”スバル・360K111型(1958年・日)。ハードルの高かった通産省の「国民車構想」の条件をほぼクリアし、現在の軽自動車市場の礎を築いた。トヨタ博物館
  • 経済的に第二次世界大戦で“独り勝ち”した米国の豊かさを象徴する一台。キャデラック・エルドラドビアリッツ(1959年・米)。トヨタ博物館
  • 英オースチン社との技術提携で生産された日産・オースチンA50型(1959年・日)。トヨタ博物館
  • 米での欧州コンパクトカー人気に対抗してGMが送り出したRR車。シボレー・コルベア(1960・米)。トヨタ博物館
  • フォード・ファルコン(1960年・米)。トヨタ博物館
  • 見た目はクラシック、なのにレースやラリーで活躍した中身とのギャップが萌えます。ジャガー・マーク2(1961年・英)。トヨタ博物館
  • 600kg切る超軽量を実現。空力特性に優れる美しい樹脂製ボディをまとったロータス・エリート(1961年・英)。トヨタ博物館
  • 販売価格は39万円!国民車構想に基づいて作られた三菱・500A11型(1961年・日)。トヨタ博物館
  • 国民車構想へのトヨタの回答がこの一台。高級志向が芽生え始めたニーズとかみ合わず販売は苦戦。この教訓は後のカローラの成功に結実する。パブリカ・UP10型(1961年・日)。トヨタ博物館
  • ルノーとの技術提携で生産された日野版4CV。タクシーでの採用多し。日野・ルノーPA62型(1962年・日)。トヨタ博物館
  • 後の2002、現在の3シリーズの原型となった傑作スポーツサルーン。BMW・1500(1963年・独)。トヨタ博物館
  • 日本初の本格的スポーツカー。1963年の第1回日本GPで欧州の強豪を抑え見事クラス優勝。ダットサン・フェアレディSP310型(1963年・日)。トヨタ博物館
  • トヨペット・クラウンRS41型(1963年・日)。トヨタ博物館
  • 米での若者向け小型スポーティーカーの先駆。大ヒットを受けカマロなど他社も追従。「ポニーカー」というジャンルを作り出した。フォード・マスタング(1964年・米)。トヨタ博物館。トヨタ博物館
  • ホンダの四輪進出第1弾となったライトウエイトスポーツ。ホンダ・S500AS280型(1964年・日)。トヨタ博物館
  • トヨペット・コロナRT40型(1964年・日)。トヨタ博物館
  • ダットサン・ブルーバード411型(1965年・日)。トヨタ博物館
  • 後の多くのスポーツカーに影響を与えたロングノーズ・ショートデッキの権化。ジャガー・Eタイプロードスター(1965年・英)。トヨタ博物館
  • 大衆車パブリカの主要部品を共用し手頃な価格を実現。空力特性重視のスタイルでフロントマスクがよく似た2000GTと並べると親子のようだが、実はこちらが先。トヨタ・スポーツ800UP15型(1965年・日)。トヨタ博物館
  • 長年にわたり販売競争を繰り広げ、日本の乗用車市場を活性化させた2大巨頭の初代モデル。左からダットサン・サニーB10型(1966年・日)、トヨタ・カローラKE10型(1966年・日)。トヨタ博物館
  • 個人的には黒橙ツートンの印象が強い。いすゞ・ベレット1600GTPR90型(1966年・日)。トヨタ博物館
  • 初代は全長4m弱、幅は1.5mちょいとかなりコンパクトだった。ニッサン・シルビアCSP311型(1966年・日)。トヨタ博物館
  • スズキ・フロンテ360LC10型(1967年・日)。トヨタ博物館
  • アルファロメオ・GT1300ジュニア(1968年・伊)。トヨタ博物館
  • RRで先行したスバル、スズキの軽乗用車に対し、FFを採用して室内容量を拡大したホンダ・N360N360型(1969年・日)。トヨタ博物館
  • 今見ても古さを感じさせないデザインはジウジアーロ作。いすゞ・117クーペPA90型(1970年・日)。トヨタ博物館
  • 安い・速い・カッコいいの三拍子で米国でも人気を博した。展示はスカイラインGT-Rと同じ6気筒DOHCエンジンを積んだ最上級モデル。ニッサン・フェアレディZ432(1970年・日)。トヨタ博物館
  • ご存じ“ダルマ”セリカ。セダンの派生モデルでなくクーペ専用で設計された。トヨタ・セリカTA22型(1970年・日)。トヨタ博物館
  • 乗用四駆の市場を開拓。四駆と相性の良い水平対向エンジンと合わせ、現在のレガシー、インプレッサにつながる独自路線の礎となったスバル・レオーネエステートバン4WD(1972年・日)。トヨタ博物館
  • ロングセラーだったビートルの後継車として開発されたフォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年・独、展示は1979年モデル)。FF、直線基調、水冷直列とビートルから180度方向転換し成功。コンパクトカーのベンチマークに。トヨタ博物館
  • 厳格なマスキー法の排ガス規制を世界で初めてクリアし、日本車の名声を高めたホンダ・シビックCVCC1200GL3Door(1975年・日)。トヨタ博物館
  • 博物館で展示用の中古車両を購入する際、MR化された「ターボ」モデルばかりで、FFのオリジナルモデルを探すのに難儀したのだとか。シンプル・モダンの極みと言えるデザインは、今も新しい。ルノー・5(サンク)(1979年・仏)。トヨタ博物館
  • スーパーカーブームでランボルギーニ・カウンタックと人気を二分したフェラーリ・BB512(1979年・伊)。トヨタ博物館
  • 高性能のターボエンジン+フルタイム四駆でラリーを席巻したアウディ・クワトロ(1981年・独)。トヨタ博物館
  • 富裕層向けの「ハイソ(ハイソサエティ)カー」というバブル期らしいジャンルを創出。トヨタ・ソアラ2.8GT(1981年・日)。トヨタ博物館
  • 絶滅寸前だったライトウエイトオープン2シータ-というジャンルをたった一車種で世界的ブームにまで押し上げたユーノス・ロードスター(1989年・日)。日本でも各社が追従。コンパクトカーのカブリオレなども流行した。トヨタ博物館
  • 走行性能と快適性を高い次元で両立。その後の世界各社の高級車開発にも大きな影響を与えたレクサス・LS(LS400)(1990年・日)。トヨタ博物館
  • 丸みを帯びたデザインだけでなく、エンジンを75度傾け、床を平らにしたミッドシップレイアウトなど、独自の発想で開発された意欲作。トヨタ・エスティマ(1993年・日)。トヨタ博物館
  • 次世代のシティーコミューターとして開発されたMCC・スマートクーペ(2001年・独)。トヨタ博物館
  • 炭素繊維強化樹脂製モノコックシャシーにヤマハと共同開発した4.8リッターV10エンジンを搭載。世界で500台限定販売。レクサス・LFAプロトタイプ(2009年・日)。トヨタ博物館
  • 最後の4台は、前々回取り上げた2000GTの特別展示を含む「バックヤード収蔵庫展」から。オースチン・ヒーレースプライト(1958年・英)。トヨタ博物館
  • トライアンフ・TR-2(1954年・英)。トヨタ博物館
  • パブリカスポーツ(1962年・日)は第9回全日本自動車ショーに出展されたコンセプトカー。空力特性と軽量化の解を航空機技術に求めた実験車である。乗降時はドアでなく戦闘機のようなスライドキャノピーを開ける構造。後のS800のベースにもなった。トヨタ博物館
  • 大トリはデロリアン・DMC-12(1981年・米)。ジウジアーロのデザインした樹脂ボディと、それを覆うヘアライン加工のステンレスが生む独特の質感の組み合わせは、30年以上経た今でもなお未来的。言うまでもなく、タイムマシン機能は映画の中だけのオプションである。トヨタ博物館


 常設展示紹介後編の今回は、第二次世界大戦終結後の1950年代から2000年代の各国のクルマを年代順に追いながら、現代につながる技術の発展とその背景をたどってみよう。前回に引き続き、博物館の車両学芸グループ主幹・次郎坊浩典さんの解説に基づき、私の感想も交えて構成していく。前編と違って国産車の割合が多いから、40代以上の読者は懐かしい気分で見ていただけるだろうし、30代以下の世代には古いクルマたちがむしろ新鮮に見えるかもしれない。(文と写真:産経新聞大阪本社Web編集室 小島純一)

 第二次世界大戦終結、欧州でも大衆化

 欧州全域と極東を焦土化した戦争が終わり、戦勝国も敗戦国も復興が軌道に乗り出した1950年代。自動車の世界も大きな変化を迎えていた。T型フォードの大成功で、いち早く自動車の大衆化が進んでいた米国に対し、大戦前の欧州でもイタリアのフィアット・500、フランスのシトロエン・5CVなどが大衆化に先鞭をつけ、戦後復興が進むとともにその波は大きくなっていった。

 ドイツでは戦前戦中、ヒトラーが提唱した「国民車(フォルクスワーゲン)構想」に基づき、後に「ビートル(カブト虫)」の愛称で長く愛されることになるフォルクスワーゲン・タイプⅠの試作を終えていたものの、戦時中は軍用車であるキューベルワーゲン、シュビムワーゲンの生産に集中、自家用の生産は行われなかった。一般ユーザーが入手できるようになったのは、結局戦争が終わった後になってからだった。このビートルはドイツの自動車の大衆化を支える大黒柱になっていく。

 フランスでは、近代化が遅れていた農業従事者のための廉価な乗用車開発をシトロエンが模索。1935年にTPV(超小型車)計画に着手、大戦を経て1948年のパリサロンで2CVを発表した。発表時は同時代の他のクルマとあまりに異なる造形に嘲笑さえ起こったというが、その合理性と信頼性、高いコストパフォーマンスはたちまち多くのユーザーに受け入れられ、シトロエンの先見性を証明。改良を続けながら40年間作り続けられて、フランスを代表する大衆車となった。

日本では「国民車構想」提唱 “てんとう虫”現る