大戦前の1936年に登場したフィアットの大衆車、500(チンクエチェント)“トッポリーノ”(前編で画像掲載)がすでに普及していたイタリアでは、この後継車種として1957年にフィアット・ヌオーヴァ500(新フィアット・500)が登場。1977年まで20年間生産されるロングセラーとなった。ルパン三世の愛車としてご存知の方も多いだろう。
ついでに書いておくと、先ほどのシトロエン2CVは「ルパン三世 カリオストロの城」の宮崎駿監督の愛車でもあり、同作前半のカーチェイス場面ではクラリスの運転するクルマとして登場している。
そして英国の代表的大衆車はなんと言ってもミニ。ミニの登場はこの中では最後発の1959年。開発の契機は1956年のスエズ動乱に伴う西欧諸国の石油危機と言われる。画像にもあるメッサーシュミット・KR200やBMW・イセッタのようなバイク並みのエンジンで動かす3輪の簡易車両が人気を集めたこの時期に、燃費のいいまともな四輪小型車を作るべく英国資本のBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)でミニの開発が始まる。4気筒エンジンを車軸と平行に横置きしたうえでミッションとデフをその下に置く2階建て構造の前輪駆動にすることでボンネットを短縮。キャビンは4人乗りできる最低限の大きさに。トランクも切り詰めて、タイヤはボディーの四隅に配置。とにかくその名のとおりミニマムにこだわった示唆に富むその設計は、後の多くのコンパクトカーのお手本となった。
日本では「国民車構想」提唱
1950年の朝鮮戦争勃発以降、その特需で急速に好景気となった日本では当時の通産省(現・経産省)が「国民車構想(正式には国民車育成要綱案)」を提唱。その要件は、4人搭乗で時速100キロ、時速60キロ走行時の燃費1リッターあたり30キロ、販売価格25万円以下、排気量350~500ccなどなど。当時としては非常に高いハードルだったが、国内の各メーカーはこの期待に応え、1958年に発売され「てんとう虫」の愛称で親しまれたスバル・360を皮切りに、多くの要件を満たす新型車を開発・発表していった。
1966年には、その後30年以上にわたって大衆車市場でのライバル争いを繰り広げる日産・サニーとトヨタ・カローラが登場。各地で自動車専用道路の整備も進み、いよいよ日本のモータリゼーションが加速して、本格的な自動車大衆化の時代を迎えることになる。